大樹

もし自分や自分の親がコロナにかかり、人工呼吸器などが必要になった時、

「高度治療を受ける機会を、若い人に譲ってもらえませんか?」

と言われたら、どうしますか?

 

こんにちは。

イーハトーヴのくすり箱、管理人・ネリです。

 

コロナに始まりコロナに終わりそうな2020年…置かれている環境はもちろん、考え方も色々と転換を迫られた人もたくさんいることでしょう。

 

そんな中、2020年9月13日の朝日新聞に気になる記事が…。

新型コロナウイルスが最初の流行を見せていた4月に、ある医師が提唱した「集中治療を譲る意志カード」‥通称「譲(ゆずる)カード」

 

「命の選択につながる」と批判を浴びたというこのカードが問いかける、更に深いの問題について今日はネリの個人的な意見を残しておきたいと思います。

 

良ければお付き合いくださいね。

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「譲カード」こと集中治療を譲る意志カードとは?

「集中治療を譲る意志カード」こと「譲(ゆずる)カード」は、提唱された石蔵文信医師が会長を務める一般社団法人「日本原始力発電所協会」のウェブサイトからダウンロードできます。

 

出典:日本原始力発電所協会HPより

 

そこには、こんな説明が…

「新型コロナウイルスの感染症で人工呼吸器や人工肺などの高度治療を受けている時に機器が不足した場合には、私は高度医療を譲ります」

 

たくさんの患者さんが増えて集中治療室がいっぱいになってしまった時、人工呼吸器が不足すると、現場にいる医師に「どの命を救うか」という選択が迫られる可能性があります。

 

実際、医療崩壊が起きたイタリアでは、回復見込みの少ない高齢者の人工呼吸器を取り外して、若い人に使用する「命の選択」が行われていました。

 

提唱者の石蔵先生は仰います。

ただでさえ忙しい医療関係者に「命の選択」まで迫るのは酷な話です。

出典:日本原始力発電所協会

最前線で自らも感染のリスクを背負いながら、ギリギリの状態で患者さんを診ている医師・看護師を始めとする医療従事者。

 

そこに患者さんの「命の選択」まで迫るのは、確かにただでさえ疲弊している精神への負担も大きく、更に消耗することになるでしょう。

 

そんな現場で頑張る若い先生方に苦労はかけたくない‥という思いから、臓器移植カードをヒントにし、「譲(ゆずる)カード」は作られました。

 

高度な医療機器が逼迫したときに、その機会を譲ってもいいよ‥という意思表示のためのカードです。

譲カードの提唱者・石蔵文信(いしくらふみのぶ)医師

譲(ゆずる)カードを作ったのは、大阪大人間科学研究科未来共創センターの招へい教授である石蔵文信(いしくらふみのぶ)氏、64才。

循環器科専門医であり、心療内科医でもある石蔵文信先生はあの「夫源病」の命名した方でもあります。

「夫源病」とは?

夫の言動が原因で、妻が心や体に不調をきたす病気

男性更年期や起立性調節障害、またポリファーマシーからくる不調を改善するための「減薬外来」など、QOL(生活の質)を改善を目指した幅広いご活動・ご活躍をなさっています。

その一方で、トーマス・ジオラマで孫を喜ばせるような、お茶目なおじいちゃんでもあるようですね(#^^#)

 

 

実は石蔵先生は、前立腺がんにかかり、全身に転移もあるということ‥。

ご自身もご家族と相談の上、「譲カード」に署名されています。

 

だけど、この「譲カード」、「高齢者より若い人の命を優先するべき」という命の選別にも取られかねない‥と、大きな非難も受けてきました。

 

これに対し、石蔵医師は「高齢者に署名を推奨するものでは全くない」と否定。

 

「自分は譲るのは嫌だ、という考えもそうだよねと肯定するし、カードを批判する人もいるだろうと予想している。

それでも、医療崩壊の問題をうやむやにしたままでいいのかと問題提起をしたかったのです。」

この「問題提起」こそ、一番重要なポイントだとネリは思うのです。

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エゼキエル・エマニュエル医師が問う命の終わり方

この「譲(ゆずる)カード」の話でネリが思い出したのが、アメリカのエゼキエル・エマニュエル医師です。

 

ペンシルベニア大学の医療倫理・保健政策学部長であり、「オバマケア(オバマ政権が掲げた医療保険制度改革)」成立の主導者でもあるエゼキエル・エマニュエル医師は、2014年10月にアトランティック(Atlantic)誌上で「私が75歳で死ぬことを望む理由(Why I Hope to Die at 75)」というタイトルのエッセイを発表し物議をかもしました。

参考:私が75歳で死ぬことを望む理由(Why I Hope to Die at 75)/Atlantic

 

エマニュエル医師は、75歳になった後は、大きな医療介入だけでなく、抗生物質や予防接種さえも拒否すると宣言しておられます。

 

そして「高齢の米国人が、よぼよぼの状態で長生き過ぎている」とし、「私たちの消費は私たちの貢献に値するか」と、医療倫理の最前線から挑戦的・挑発的に疑問を投げかけているんですね。

 

 

大切なのは「高齢者に死ねということか」という表面的な問題ではなく、今の医療逼迫の中で「その医療は本当に必要で価値のあるものか」ということではないか‥とネリは思うのです。

 

シップや睡眠薬、保湿剤やビタミン剤‥病院で出してもらえるなら、と「取りあえず」感覚でもらっている薬…。

 

「国民皆保険」という便利な制度を乱用し、「自分だけ、ちょっとだけ」という気持ちが、子どもや孫といった未来を作る次の世代の健やかに生きる権利を少しずつ奪っている事実に、どれくらいの人が気付いているのでしょう?

 

自分たちができる範囲で自分の命を守る方向に心を向ければ、今のように医療が逼迫することもなく、今回のような「いざという時」もっと多くの選択肢があったのではないか‥とすら思います。

 

同時に、今回のコロナはチャンスでもあると思うんですね。

 

コロナで急な医療崩壊の危機が危惧されていますが、このままいくと近い将来、慢性的な医療危機を招くことは明らか。

その時に備え、今、自分が出来ることは何だろう‥と考えるチャンスです。

財政破綻の夕張市民は元気でした

子どもが大きくなったとき、今のように医療が受けられないかもしれない‥そんな想いから、ネリは「未病へのアプローチ」「予防医学」そして「アーユルヴェーダ」の世界へ足を踏み入れました。

患者自身が治療の担い手‥と考えるアーユルヴェーダには、深く感じるところがあります。

 

そんな中で知って驚いたのが、2007年に破綻した北海道夕張市のその後のデータでした。

なんと破綻して病院がちゃんと機能しなくなってからの方が、健康な人が増えたのです!

171床あった「夕張市立病院」がなくなり、19床の診療所だけになったのに、日本人の三大死因であるがん・心臓病・肺炎で亡くなる人が減り、多くのお年寄りが自宅で老衰で亡くなるように…。

そして、高齢者一人当たりの年間医療費も80万円から70万円に激減したのです。

 

シニアライフ

 

夕張市で取り組んだことは「予防医療の実施」です。

  • 肺炎球菌ワクチンの接種
  • 口腔ケアの実施
  • 市民自身の行動変容(雪かき・ストレッチ・ウォーキング)

「病院には頼れない」という現実に、自分の命に対する責任感や主体性が生まれ、結果的に内的動機付けにより健康習慣を行うようになったと分析されています。

(参考:森田洋之「医療経済の嘘」より)

 

そして、ある一定以上の状況‥特に「死」に対して「受け入れる」という姿勢です。

死に抗うより受け入れる方が、しあわせな終末を迎えられる‥これは目からウロコの真実でした。

 

そして思い出したのが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる家庭教師の言葉でした。

沈没する船の中で、教え子を助けようと、多くの人を押しのけて救命ボートに向かって進む中で、彼は迷います。

 

けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。

出典:宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

そして、最期は子どもたちを抱えながら、冷たい海に沈んでいったのです。

 

幻想的な風景

 

誤解のないように言っておきますが、積極的に「死」を勧めているのではありません。

だけど、「自分たちが抗っているものは何なんだろう」と、立ち止まって考える必要があるのでは‥と考えています。

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譲カードに思うこと…死に方・生き方、命の選択、そしてメメント・モリ

2025年には、いわゆる「団塊の世代」が75才以上なり、そこを一つのラインとして国は、地域医療構想に基づく医療提供体制の見直しを各都道府県に求めています。

 

まぁ、ぶっちゃけ。

国の医療費を始めとする社会保障制度はアップアップ状態です。

 

出典:財務省「財政に関する資料」より

 

コロナで一気に話題になりましたが、実はそれ以前から「医療崩壊の危機」は私たちの身近に迫っていたのです。

 

子どもたちが大人になったとき、お金がないとちゃんとした医療が受けられない‥。

あるいは私たち親の世代が「姥捨て山」のような選択を迫られるかもしれない。

その究極の選択を行う覚悟があるなら、今のままでも良いでしょう。

 

でも、できるなら。

譲カードの石蔵医師が「若い医師にそんな酷なことをさせたくない」と願ったように、将来の自分‥そして子どもや孫たちに、そんな選択はさせたくないですよね?

 

ならば、今、自分たちの出来ることは‥?

自分の命と生き方に責任を持ち、結果を受け入れる覚悟を持てる「選択」をしていくことなんじゃないかな‥とネリは思います。

 

 

死はいずれ誰にも訪れます。

もちろん、死ぬことはほとんどの人にとってネガティブなことでしょう。

先のエゼキエル・エマニュエル医師もインタビューで「私は死を本当に恐れています」と言っています。

「しかし、老いぼれてガタガタになって生き続けることのほうが、より恐ろしい」とも。

 

この肉体…魂の乗り物は、いずれ力尽きます。

その時になって、やり残したことのないように、少しでも後悔が少ないように‥そのために、今日‥今、自分は何を選択するか?

 

メメント・モリ、メメント・ウィウェーレ

(死を想え、生を想え)

 

「死」を意識することは、「生」を意識すること。

そして「譲(ゆずる)カード」は、それを考えるきっかけになると思うのです。

 

まだやりたいことがある…それは良いけれど、延命した後に果たして本当にそれが出来るのか?

まず生きている今を大切にし、いざ「その時」が来たら迷うことなく、後進に道を「譲る」ことが出来るのではないか…。

 

しっかり生きて、しっかり死ぬ。

 

そんな最期を迎えることが出来ると良いな…と、石蔵文信医師の「譲(ゆずる)カード」に触れて、ネリはそう思ったのでした。

 

最後に、この記事を書くにあたり心から離れることのなかった詩…河井酔茗(かわいすいめい)さんの「ゆずり葉」を残しておきます。

小学校の教科書に載っていたけれど、今もあるのかなー?

あれから何十年もたった今、「譲る立場」に立って感じる色々なことを、色々な人と共有できれば嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

「ゆずり葉(ゆづり葉)」河井酔茗(かわいすいめい)

子供たちよ。

これは譲り葉の木です。

この譲り葉は新しい葉が出来ると

入れ代ってふるい葉が落ちてしまふのです。

 

こんなに厚い葉

こんなに大きい葉でも

新しい葉が出来ると無造作に落ちる

新しい葉に命を譲って…。

 

子供たちよ。

お前たちは何を欲しがらないでも

凡てのものがお前たちに譲られるのです。

太陽の廻るかぎり

譲られるものは絶えません。

 

輝ける大都会も

そっくりお前たちが譲り受けるのです。

読みきれないほどの書物も

みんなお前たちの手に受取るのです。

幸福なる子供たちよ

お前たちの手はまだ小さいけれど…。

 

世のお父さん、お母さんたちは

何一つ持ってゆかない。

みんなお前たちに譲ってゆくために

いのちあるもの、よいもの、美しいものを

一生懸命に造ってゐます。

 

今、お前たちは気が附かないけれど

ひとりでにいのちは延びる。

鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に

気が附いてきます。

 

そしたら子供たちよ

もう一度譲り葉の木の下に立って

譲り葉を見る時が来るでせう。

大樹