選択せよ!ニャトリックス

「神さま、助けて~!!」

この世に生をうけて半世紀近く

…なんど心の中で

このセリフを叫んだことか( ̄▽ ̄;)

 

 

困った時の神頼みとはよく言ったもので

普段の自分の信仰心を棚に上げ、

人は追い込まれたとき自然と

自分より大きな「何か」に対して

救いを求めます。

 

この自分が助けを求めている

「神さま」って

一体なんなんでしょうかね?

そもそも「神さま」って

存在しているもんなんですかね?

 

今回は、そんな「神さま」について

まじめにふまじめ・かいけつゾ〇リならぬ

にゃーゆるヴェーダ的に

ゆるーり、のんびりと

書いていきたいと思います。

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1.あの日…私の「神さま」は外から内に引っ越した

浄土真宗の家に生まれたネリは

高校生の頃から28才まで

無神論者のペシミストでした。

 

家庭も学校も居心地が悪く

明るい未来を描くことができず、

どちらかというと「消去法」的に

今の薬剤師の仕事を選びました。

 

そして、1995年…多感な時期に

あの宗教団体の事件をニュースで触れ、

宗教色の強いものに

凄く抵抗を持つように…。

 

だけど子供が生まれ、

西成の病院で

死に逝く人々を見ていく中で、

「魂の幸せ」ということを

強く考えるようになりました。

 

人が死に際して感じる

トータルペイン…全人的痛み

「魂の痛み=スピリチュアルペイン」

この中に含まれ、個人的には

この痛みが一番強いんじゃないかなって

思っています。

 

やはり、この世を生きるには

「魂」の話は

避けては通れないんだなー、って

ぼんやりと感じていました。

 

人の魂が満たされた状態で

旅立つことはできないのだろうか…

そんな時に出会ったのが

アーユルヴェーダでした。

 

アーユルヴェーダでは

サーンキヤ哲学が色濃く反映されています。

 

Wikipediaさんによると

サーンキヤ哲学とは…

世界の根源として、精神原理であるプルシャと物質原理であるプラクリティという、2つの究極的実体原理を想定する。

厳密な二元論であり、世界はプルシャの観照を契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。

 

この概念に出会った時、

ネリの頭に浮かんだのは

「AKIRA」

出典:Amazon

「火の鳥・未来編」のワンシーン。

出典:Amazon

 

主要キャラクターが命を失いそうになる刹那

取り込まれて行く集合意識のようなもの。

(あー、誰か分かってくれー!!)

 

全ては「あれ」から生まれ

「あれ」に還っていくのかー…

プルシャ(純粋意識)の講義を受けたあの日、

ネリは「神さま」というものを

外側から内側に捉えるようになりました。

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2.キリスト教も仏教も究極は「自分とのつながり」

世の中をそんな視点で観ると

色んなことがしっくりと

腑に落ちるようになったんですよね。

 

聖書にはこんな言葉があります。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。

人がわたしにつながっており、

わたしもその人につながっていれば、

その人は豊かに実を結ぶ。

新約聖書 ヨハネによる福音書15章

 

その頃どっぷり

アーユルヴェーダに浸っていた私が

真っ先に連想したのがプルシャ(純粋意識)。

 

わたし=神さま=プルシャ(純粋意識)

この繋がりを大切にすることで

人の人生はきっと悔いなく

豊かになるはず!!

 

が、これを子供に

言葉で伝えるのが難しい!!

 

そこで登場するのが聖書(Bible)!

ストーリー仕立てになっていることで

子どもに理解しやすく

頭にスッと入っていく‥

言葉は悪いけれど

エンターテイメント性も高い。

 

今は分からなくても

いつかその知恵が人生の中で芽吹いて

役に立つんだろうなぁ。

 

そのシステムが完成されている

キリスト教・聖書…

やっぱり古典は凄いですね。

 

時代によっては利用され

換骨奪胎で、言葉がねじ曲げられ、

残念な結果になった時もあったけど。

 

そういう意味では

「人間個人の本来持つ

自己認識の救済」を謳う

グノーシス派の方が

より自分の考え方に近くて

魅力を感じたりもします。

 

もう一つの巨頭‥仏教。

その根っこを辿って繋がるが

アーユルヴェーダ。

 

苦の輪廻から解脱することを

目的とした仏教の「因果論」などは、

「自分の中の神さまの目覚め」を

促すための知恵・知識ですね。

 

ちなみに仏教が伝来した時、

アーユルヴェーダは

仏教医学として日本に伝えられました。

奈良の正倉院展では

その香りを感じることが出来ます。

 

結局、やっぱり、全てのの宗教は

繋がっているんじゃないかなー。

 

本当の神さまは

「自分の中」に在る。

その繋がりを強くするために

「信仰」や「宗教」は存在する…。

 

そう考えると

信仰の神の違いによる争いは

むなしすぎます。

 

余談ですがリチャード・パックの

「かもめのジョナサン」

出典:Amazon

「イリュージョン」

出典:Amazon

そんな「本質」について

書かれた本だと思っています。

オススメ♪

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3.万能の神さまを脳科学的に考えてみると?

さてスピリチュアルな世界から一転、

今度は「脳科学」に見る

「神さまの存在」。

 

子どもに豊かな人生を…と

学び始めたものの中にあるのが

神経言語プログラミング(NLP)。

 

これまたWikipediaによると…

ジョン・グリンダー(言語学者)とリチャード・バンドラーによって提唱された、コミュニケーション、能力開発、心理療法へのアプローチを目指す技法である。

人間は客観的な現実を理解することはできないというポストモダン的な立場を取り、主観的経験の構造の研究によって記述された「メタ学問」である。

個人の主観性・主観的な経験に大きく焦点を当てた自己啓発の体系を持つ。

…定義だけ見ると、

なんのこっちゃ!?という感じ。

 

ここで数行にまとめることは

とても出来ないけれど、

人間の感情や信念にアプローチし

潜在能力をフルに発揮することを

目的としたこのスキル。

 

人間には顕在意識潜在意識があり

そのうち脳の情報処理・行動決定のうち

90~95%は潜在意識が行っている

と考えられています。

 

普段は意識をしていない潜在意識…

そこに秘められた

まだ見ぬ可能性とパワー!!

 

最近、「脳の使い方」に焦点をあてた

本がたくさん出ていますが

ネリのオススメは

アランとバーバラのピーズ夫妻の名著

「ブレインプログラミング」

出典:Amazon

「神メンタル/星渉」

 

人間には等しく

夢を実現する力があると

信じさせてくれます。

 

それは、ただ

「お金持ちになりたい」とか

「若々しく綺麗になりたい」とか

いうものではなく、

自分の命の根っこにある

「感情」に根差したもの…。

 

アーユルヴェーダ的に言うと

「純粋な想い」というものです。

 

このおもちゃ箱のような

遊園地のような世界に

肉体を持って生まれた私たちは、

脳と言うハードを使って

色んなソフトをインストールし

自分の夢を叶えるために

日々活動しているのでしょう。

 

ちなみにユングが提唱する

「顕在意識」「潜在意識」

さらに奥底には、全人類が共有する

「集合的無意識」があるとされています。

 

これもまた「純粋意識」であり

「神さま」の一つの形かもしれません。

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4.科学(物理学・量子力学)から見た「神さまの存在」

アインシュタインは

神の存在を証明しようと

「因果律」に挑みました。

 

結果、観測結果が「偶然」に影響される

量子力学に対しては

「神はサイコロをふらない」と言って

反対の姿勢を取っていました。

 

そんな一見、相性の悪そうな

相対性理論と量子力学を結び付ける

超ひも理論などの統一理論に関する研究が

現代、活発に行われているのが

面白いところです。

 

そうした研究を通じて、

改めて「何か大きな力」があると

現場で感じている研究者の方々も

多いようです。

出典:Amazon

 

この本の著者である三田先生も

50代になって物質と反物質の研究から

宇宙のはじまりを見つめ、

「神の意志を感じ」、

「神の存在を信じる」ように

なられたそうです。

 

一見、矛盾にも見えますが

「神さま」に近付きたくて

「神さま」が作ったこの世界を

もっと知りたくて、

「科学」というものは

進化してきたように感じます。

 

この世の自然法則を証明するのは

神の御業の真髄に触れるようで、

敬虔な想いに満たされることでしょう。

 

それが「神さま」の地位を

却って下げてしまったことは

残念ですね。

 

本来、セットであるもので

切り離すものではないんじゃないかな?

今、研究に従って

改めて「神さま」の力を

感じる科学者が増えたことは

「本質」に近付いてきているのでは

と個人的には思います。

 

私たちと繋がっている

なにか大きなもの…

サムシング・グレート

 

色んな呼び方がありますが

探求を深めれば深めるほど、

そこに大きな力の存在を

強く感じるのは確かです。

 

33歳でノーベル物理学賞を受賞した

天才ブライアン・ジョセフソン博士。

彼の言葉にこんなものがあります

「私は精神が物質を生んだと考えています。

私たちが宇宙だと考えているものより

以前から精神が存在していて、

時間と空間はこの精神の中から

作り出されたのかも知れないと思います」

 

アインシュタインも、

「この宇宙を支配する力は愛だ」と考え

それを数式で証明しようとしていたようです。

 

ちなみにアインシュタインは晩年

インドの哲学書

「バカヴァッド・ギーター」

愛読していたとも言われています。

出典:Amazon

 

量子力学の言葉で言えば

全ての根源であると言われる

ゼロ・ポイント・エネルギー…

 

それもまた「神」の現れの

ひとつなのかもしれません。

 

そして私たちは皆

そんな不可思議で無限の

エネルギーと繋がっています。

 

アメリカンビューティー

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5.そしてやっぱり宮沢賢治とアーユルヴェーダ…「神さま」はここにいる

「神さま、助けて~!!」

この世に生をうけて半世紀近く

…なんど心の中で

このセリフを叫んだことか( ̄▽ ̄;)

 

 

だけど、最近、気付きました。

神さまは決して助けてはくれない、と。

 

何でも願いを叶えてくれる

万能の神さまなんて、

存在してはいけないんじゃないかな。

 

「明日、宝くじが当ててください」

そんな願い事を簡単に叶えるような

神さまはニセモノだと思います。

 

この「顕現化」した世の中で

何でも願いを叶えてくれる神さまは

代償を持っていくことが多いとも言われ、

ネリ自身はその考えを

強く肯定しています。

 

神さまは自分の中のいて、

自分がこの生の中で叶えたい

純粋な想いを想像する力そのもの。

 

その神さまを呼び起こし

力を発揮するための知識…

それがアーユルヴェーダだと

ネリは考えています。

 

目的地にたどり着くまで、

この魂が乗り込んだ乗り物…肉体を

メンテナンスし維持するための知識が

アーユルヴェーダです。

 

目的地を目の前にして

エンジントラブルからの

レッカー移動なんて

切なすぎるじゃないですか。

 

命は大切です。

でも、なぜ大切なのか。

生きることは素晴らしいです。

でも、なぜ素晴らしいのか。

 

その答えを知らず、感じずに

日々を送る人々は、

例え金銭的に豊かであっても

とても損をしていると私は思うのです。

 

だけど。

日々の生活の中で、

美しいものを見て美しいと思う気持ち、

大好きなものに触れて愛おしいと思う気持ち、

人の悲しみに触れて一緒に切なくなる気持ち、

そんな心のひとつひとつの動きこそ

「かみさま」の正体なんじゃないかなと

ネリは考えています。

 

ヨーガでは「身体は神の宮殿」と

いうそうです。

ナマステ(Namaste)には

「あなたの中の神を観る」という

意味が含まれています。

 

この世界で起きている

プロセスのひとつひとつに

神さまの存在を感じると、

この世界は愛で満ちています。

 

崇拝の対象ではなく

自身の心の中に起こる

色々な感情・思考のプロセス…

その小さなひとつひとつが

美しく尊い存在そのもの。

 

それを詩で表したのが

宮沢賢治「春と修羅・序」だと

個人的には感じています。

 

風景やみんなと一緒に

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

 

この世界に肉体や五感を持って

生まれてこないと、

体験できないことがあります。

 

この世界に生まれてこなかったら

愛しい我が子を抱きしめることも、

語り掛けることも出来なかった。

 

肉体を持つことは時に

苦しみを伴うことではあるけれど

それでも、この世界で

体験し、遊ぶために、

私たちは生まれてきたんだと

ネリは考えています。

 

この世界は愛しくて美しい。

同時に、この世界は残酷で切ない。

 

どちらも真実で、

どちらも選択の果てにあります。

 

「神さま」は自分の中にいます。

自らが選択した未来を作り上げる

人間の素晴らしい力…

 

 

その可能性を十分に発揮できる環境を

子どもに与えてあげたい。

ネリのアーユルヴェーダを始めとする

「生命の知恵」の学びの原点は

そういうところにあるようです。

 

あなたは

この世界に

何をしに来ましたか?

 

あなたは

その想いを

忘れてはいませんか?

 

神さまは

そこにいます。

 

あなたに必要な「しるし」を

「兆候」として、

その道程の至るところに

置いてくれています。

 

それを見つける「目」を

それを聞き取る「耳」を

それを感じとる「心」を養うために

アーユルヴェーダの知識はあります。

 

いつか海に還るその日まで。

最後の息を吐きだす時まで。

「Who am I?」を問い続ける

長く楽しい旅路は続きます。

多分、それが各々のダルマ。

 

 

自分が自分の使命(ダルマ)を

進めようと歩みを続ける時、

自分の中の神さまが輝きだし

奇跡は起こります。

息子よ、これはホントだよ(*’ω’*)

 

「この命を楽しもう」。

あなたの中の神さまに逢える日を

楽しみにしています。

 

最後までお読みいただき

ありがとうございました。