おはようございます。
イーハトーヴのくすり箱、
管理人のネリです。
ここ連続して「認知症」をテーマに
お伝えしてきました。
そんな中、タイムリーに放送されたのが
認知症になった認知症第一人者、
長谷川和夫医師のNHKドキュメンタリー。
今までと違う視点で
「認知症」というものについて
深く考えさせらましたねー。
このNHKスペシャル
「認知症の第一人者が認知症になった」。
今回は、この番組の内容や感想、
認知症になった長谷川先生が手掛けた
絵本についてシェアしていきたいと思います。
もくじ
認知症研究第一人者・長谷川和夫医師のプロフィールと功績
認知症研究第一人者、長谷川和夫先生の
プロフィールは以下の通り。
名前 | 長谷川 和夫 |
はせがわ かずお | |
生年月日 | 1929年2月5日 |
出身地 | 愛知県 |
出身校 | 東京慈恵会医科大学 |
長谷川先生は1953年に
東京慈恵会医科大学を創業後、
アメリカの聖エリザベス病院等で
精神医学・脳波学専攻されています。
「性犯罪者の精神医学的研究」で
1960年に慈恵会医大医学博士を取得し、
40代は老年精神医学・認知症を専門にご活躍。
- 1969年慈恵会医大助教授
- 1973年聖マリアンナ医科大学教授
- 1996年聖マリアンナ医科大学学長
と大きな役職を果たされて2000年に定年。
その後は名誉教授、同理事長就任、
更に2005年には
高齢者痴呆介護研究・研修東京
センター長になっておられます。
2009年に職を退かれるまで
認知症の第一人者として
エネルギッシュに活動されてきた
長谷川和夫医師。
中でも特に忘れてはいけないのが
「長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)」
記憶力をテストするこのテストは、
日本で初めて認知症の早期診断を
可能にした画期的な開発でした。
昔は「痴呆」と呼ばれ
差別や偏見の対象だった患者さん。。
その尊厳を守るために
今では広く親しまれている
「認知症」という言葉を
提唱したのも長谷川先生です。
今ではすっかり浸透していますよねー。
認知症の第一人者として活躍を続けた
長谷川和夫先生は2005年に
瑞宝中綬章も受章されています。
今、活発に研究されている
「認知症」という症例…
そのパイオニア的存在だった
長谷川和夫先生本人が認知症に…
というのは皮肉な感じもしましたが、
今回のNHKスペシャルを見ていると
それさえも「運命に選ばれた人」に訪れた
必然のようにも感じます。
自分の姿を見せることで
「認知症とは何か」伝えたい。
番組で魅せてもらったのは
「認知症」の研究に真の意味で
人生を捧げた人の
恰好良い生き様でした。
認知症を発症した長谷川和夫医師
2018年、長谷川和夫先生は
自らが認知症であることを告白しました。
最初は自分の症状は
「アルツハイマー型認知症」だと
考えておられたそうですが、
2017年11月、認知症専門病院である
和光病院の診断結果として
「嗜銀顆粒性(しぎんかりゅうせい)認知症」
であることが分かりました。
進行が緩やかで、
高齢者に多いという嗜銀顆粒性認知症。
長谷川先生の最初の兆候は
曜日の感覚が分からなくなったこと。
認知症と診断されたときは
想像以上の不安に襲われたそうです。
「生きている上での確かさ」というものが
失われて行く恐怖。。
それは認知症患者本人でないと
分からない…。
「医者」「患者」
僕の心には2つのものがある
認知症になってみると、
本当の認知症の姿が分かる
認知症になって初めて分かった
「当事者の気持ち」。
それを忘れないように
日記に記すようになったという
長谷川和夫医師。
診断から5か月後の2018年3月には
山手線が分からなくなったこと、
自らの認知症が確かに進んでいることを
つぶさに日記に残されています。
「研究者」として自らの身体を使い
ここまで向き合うことができるでしょうか?
静かだけれど鬼気迫る熱量に
圧倒されながら見ていました。
一生懸命一所懸命やってきた結果こうなった。
どうも年を取るということは容易ではない。
僕の生きがいは何だろう。
「研究者」であり「患者」でもある
長谷川和夫医師は、
その両側からアプローチできる稀有な存在で
認知症になった今も各地で
精力的に講演を行っておられます。
NHKスペシャル「認知症の第一人者が認知症になった」感想
①長谷川医師の認知症理解への大きなきっかけとなった出来事
長谷川和夫先生の認知症という
病に対する想いが大きく変わったきっかけが
岩切健さんという患者さんだそうです。
音楽家だったのでしょうか?
50代でアルツハイマー病を発症した
岩切健さんは、五線紙の上に
悲痛な心の叫びを残されていました。
僕にはメロディーがない。
和音がない。
響鳴がない。
帰ってきてくれ、ぼくの心よ。
全ての思いの源よ。
再び帰ってきてくれ。
あの素晴らしい心の高鳴りは
もう永遠に与えられないのだろうか。。
奥さまがそれを読んで涙ぐみ、
「彼の苦しい心に寄り添えなかったことが一番の悔い」
と語られていたのが印象的でした。
それまで脳の仕組みとしての
研究はしてきたけれど、
本人の心の中を見たのは
初めてだった長谷川先生。
その話を聞いた先生は涙を流し、
認知症に対する研究・診療は
何が何でも続けると思ったそうです。
②デイケアサービス…認知症を診る側と本人の心のギャップ
長谷川先生を家庭で見るのが
9才年下の妻・瑞子さん。
瑞子さんも81才と高齢で
自身も要介護認定を受けている瑞子さん。
和男先生の症状が進行していく中で
妻・瑞子さんの負担も重くなっていきます。
その負担を軽くするために
デイサービスに行くことに。
だけど、そこで感じたのは
圧倒的な孤独感。。
「ひとりぼっちなんだよ。
あそこに行っても。」
where are you?
where am I?
where is Mizuko?
家族の負担を軽くできると
デイサービスを薦めてきた医師が、
自らデイサービスに行って見えた景色。
置いてけぼりにされた「患者側の心」で
もうデイケアには行かない、と
すねたように言う長谷川先生の姿には
切ないものがありました。
一方で医師の心がデイケアに行くことで
家族が楽になることも分かっている。
だから
「自分が死んだら
まわりはほっとするだろうね…」
なんて言葉も出てしまう。。
認知症の人がなりやすい
気分の落ち込み・うつ状態。
薬剤師なので「病態」としては
知っていましたが、こうして見ると
決して「認知症だから」だけではなく、
そこに至るには色んな複合的な要素が
繋がっていることが良く分かります。
③認知症になった認知症第一人者が語る「認知症とは?」
「認知症」というものを
研究者として、患者として、
向き合ってきた長谷川和夫医師。
今、長谷川先生が思う
「認知症とは?」という問いかけに対する
答えには色々なことを考えさせられます。
「余分なものがはぎとられちゃうわけだよね
認知症になると。よくできているよ。」
「心配はあるけども
心配する気づきがないからさ」
「神さまが用意してくれた一つの救い」
「認知症になっても
見える景色は変わらない。」
認知症になると、もう人格として
全く別のものになってしまった…と
捉えられることも多いです。
だけど、その心の中には
愛嬌も豊かな感情も
変わらず残っています。
「自分の戦場に帰りたい」と
論文を書き続けてきた書斎で座り
「ここへ来ると落ち着くんだ」と語ったり、
お気に入りの喫茶店で
お気に入りのコーヒーを楽しんだり…。
そして症状が進行しても
伝えることは止めない長谷川医師。
だけど想定外の行動を起こすこともしばしば。
それを受け入れようとする家族。
ただ「認知症だから」で済ますのではなく、
その背後にある本人の思い・感情・意図を
汲み取ることの大切さ。
…現実問題、認知症の方とここまで
じっくり向き合うだけの
時間と忍耐力を持つ家族と暮らせる
人ばかりとは言い切れないけれど…
こんな形がもっと一般的になったり、
それをサポートするシステムができたら
「安心して認知症になれる社会」が
できるのかもしれない‥と
少し希望を感じることが出来ました。
ある先輩医師が長谷川和夫医師に
言ったひとこと。
「君が認知症になって初めて君の研究は完成する」
研究の完成に向けて
今も長谷川先生は
走り続けておられます。
長谷川和夫医師の絵本「だいじょうぶだよ ぼくのおばあちゃん」
認知症の発症から約1年後の
2018年10月。
長谷川和夫先生は
認知症への理解を広めるため、
一冊の本を出版されています。
【だいじょうぶだよ ぼくのおばあちゃん】
(ぱーそん書房)
出典:Amazon
もしおばあちゃんが
「いろいろわすれるびょうき」になったら…。
「どうしてわすれちゃったの?」
「おばあちゃん、なんだかまえとちがう」
認知症になったおばあちゃんと、ぼくたち家族の物語。
長谷川和夫先生の体験を元に
池田げんえいさんの温かい
貼り絵とともに綴られた絵本は
Amazonでも高評価。
子どもに「認知症とは?」って
伝えるのは凄く難しいですよね。
だけど、絵本を通じて、
「こういう病気があること」と
「どんな風に接するのが相手にとって
安心感を与えるかということ」を
「知識」として知っていることは
子どもに限らず親や大人にとっても
大きな財産だと思います。
少子高齢化社会に向けて
目をそらすことが出来ない
「認知症」の問題。
だけど、決して「不安」や
「怖い」だけのものではない、と
この絵本や番組を通じて
感じることが出来ました。
まとめ~長谷川和夫先生と妻・瑞子さんの風景に理想の老年期を想う
長谷川和夫先生と妻・瑞子さんは
60年前にご結婚されたそうです。
お子さまは3人。
そのうち娘のまりさんが、
今の長谷川先生の講演活動などに寄り添い
そのサポートをされています。
いきなり周りに相談なく
想定外の方向に進んでいく長谷川先生を、
困惑し戸惑いながらも受け止め
やさしく寄り添う娘・まりさんの姿。
手を繋いでお二人が歩かれている様子は
静かな優しさに溢れていて
見ているとじんわりと心が
温かくなりました。
認知症になった第一人者が
自ら発するメッセージは
重くて深くて、そして優しかったです。
認知症となった長谷川和夫先生の今は
昼夜問わず働き続けた第一線から離れた
夫婦二人だけの日々でもあります。
お二人の穏やかな笑顔が印象的でした。
そして、日記に綴られるようになった
瑞子さんへの感謝の思い。
「いつも瑞子といる感じだ。
幸せだと思う。」
奥さまが長谷川先生の好きな
「悲愴」をピアノで演奏。
それをソファで聞きながら
文字を書かれている先生。
「上手く弾けないわ」と笑う瑞子さんに
「良かったよ」ともっと聞きたそうにする
長谷川先生。
正直、もっと認知症に対する
マイナスなイメージを持っていた私には
このシーンがとても心に沁みて印象的でした。
「毎日毎日ひとつひとつのことに
笑っていくことがとても大切だと思います」
認知症になっても
豊かに暮らせる社会は
きっと作ることが出来る。
それを、全身で、社会に伝えることが
長谷川和夫医師の研究の
集大成なのかも…と感じた
NHKスペシャル
「認知症の第一人者が認知症になった」でした。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。